サンデー毎日9月3日号掲載
田渕 基本的に女子大は、親がかりというのは昔からです。例えば、大学の相談会に来たら、本人は話をせずに母親だけが質問をして、納得して帰っていくというケースは日常茶飯事です。オープンキャンパスに参加される保護者も母親だけではなく父親、土日開催では父親だけでなく、祖父母や、弟妹まで一緒に来るケースもあります。つまり家族で、進路を見守るというような状況です。
山下 うちは圧倒的に男子が多いのですが、オープンキャンパスに一族郎党でやってくる方は非常に多いです。そこで、2年くらい前から親向けのイベントも開いています。入試や学生生活の話をするような時間を作りますと、熱心にメモを取っていかれます。入試に親が関わるといったことは、今は当たり前ですが、合格したら入学手続きまで親子で来る。さらに、入学式やガイダンスと、放っておくといつまでも親と一緒なんです。昨年から「ガイダンスには学生さんお一人で来て下さい」と、ただし書きをしています。
山下 当事者として、一緒に受験しているという感じのようです。
染谷 親の役割と子どもの役割とが分かっていないということですよね。親がそこまでやるのが普通だと思っているのです。間違いだとは思っていません。
田渕 間違いどころか、当事者ですから、受験生の親としての役割がきちっとあるという認識で、疑いを持っていませんね。
染谷 今どきは、小さい頃からそういうスタンスですから、それが普通なんですね。
田渕 その家族には普通のことですから、それをおかしいというほうがおかしい、ということになるんじゃないでしょうか。
染谷 親が入学式や卒業式に来るのはいいと思います。というのは、それだけの苦労や心配もするし、子供の晴れ姿を見て、協力してくれた家族みんなでお祝いしてもいい。しかし、親は親、子どもは子どもの役割があり、それぞれの立場で違うはずです。最近、一人でものを考えない、自分で前に出て行かないような子が多いでしょう。そこが問題です。
染谷 普通の大学は受付が始まると、一斉に電話が鳴ります。「どうやって書類を取り寄せたらいいですか」「どうやって書いたらいいですか」「どうやって送ればいいですか」というものですが、子どもはすぐ傍にいながら、電話をしてくるのは、ほとんどが親です。気配で分かりますから「子どもさんを出してください」と言うと、一応は「××ちゃん、大学の方が出なさいって言っているわよ」となりますが、「お母さん聞いといてよ」という声が聞こえ、「子供がそう言っていますので」と。
山下 染谷さんのおっしゃる通りでして、90%以上が母親で、たまに受験生本人から電話がかかって来ると、我々としては、感動さえ覚えるほどです。
田渕 それに近いものを感じます。受験生が一人で来たら、個人面談のような気持ちで、こちらもつい話し込んじゃいます。
染谷 親子で来た場合、基本的に子どもと話します。ところが、子どもが質問をしたり、意見を言う時に、親の考えと違う場合があります。親は話し合っているうちにイライラしてきて、相談会の席で親子喧嘩になることもあります。
山下 相談会などに親子で来ていると、親が子どもに質問事項を指示しているのを、よく見かけます。「××ちゃん、今日はあのことを聞かないの?」と。子どもが黙っていると、こちらから「じゃあ、そのことをお話しましょうか」ということもあります。
染谷 以前は、志願者が案内書などを読んで、多少なりとも調べて、質問事項も自分でメモして来る子どもが多くいました。しかし、最近はそれがありません。極端な例では、質問は全部こちらからして、子どもは、ただ黙って座っているだけで、全部こちらから話してあげなければならない場合があります。
山下 この間、すごい子が来まして、一人で来たんでこれは立派だなと思ったら「僕は何を聞けばいいのでしょうか?」と言うのです。そして、「みんなブースに座って何を聞いていますか?」と。そういう子もいれば、いきなり大学院への進学率やカリキュラムについて聞いてくる志願者もいて、調べている子どもとそうでない子どもが両極端のような気がします。
田渕 時々、なぜお母さんがそこまで言うのかを代弁することがあります。子どもに説明をするわけです。今の親の世代は一番短大が難しい頃で、短大に落ちて大学に行くという時代でしたが、今の子どもたちからすれば、「短大卒なんて」ということで、母親に対する評価が違います。でも、そのころは難しくて、大学では一流企業に入れないから、短大から一流企業に入って、それで社内結婚というのが一つのステータスでした。そうした話をすると、親の言っている意味が分かる。で、親御さんに対しては「昔の判断基準で今を考えると、たぶん間違いですよ」と釘を刺します。
山下 なぜそのような傾向になったのか、考えてみましたが、首都圏の場合は中高一貫校が台頭してきています。当然、小学校から中学校に上がる時には、どうしても親が相当部分に関わっていかなければならない。私の娘が12歳で、ちょうど、その渦中にいるわけですが、子どもの私立中学のことを調べると、面白くなってしまうのです。子どもには「ここがいいんじゃないの」と。で、父親は母親と違って、その学校のスペックといいますか、性能で選んでいきます。それがまた面白い。単にブランドとか知名度とかではなくて……。いざ入学すると、そのプロセスの中で、今までは高校受験という関門があったのに、それをスルーしちゃうわけです。そこで次に来る節目が大学受験になるわけで、当然、親が関わってくることになります。
田渕 親が面白いというのは、実感としてありますね。子供が親に依存する、親の過干渉というのとは別に、親が親として面白い。それで義務を果たしているような錯覚もあるし、自分を投影するというのもあるのでしょうか。
染谷 親子の絆ってよく言うでしょう。それは、ひとえにコミュニケーションが大きいと思います。それから親も、男親と女親で意見は違うと思いますよ。違うからこそ、お互いに議論する。子供が入って議論してもいい。子供と一緒に考えてあげる。父親の意見と母親の意見を、ちゃんと別々に言ってあげることが大事です。「お父さんはこう思う」「お母さんはこう思う」と、それぞれが現状をしっかり勉強し、わきまえて話し合うことが大事だと思います。
山下 子どもに言わせることがポイントですね。私も注意していることで、例えば学校訪問するにあたり、親が電話するのではなく、子どもにかけさせ、うまくいったら「よくやった」と。そうでもしないと、今は子どもでも携帯電話を持っていますから、「××さんのお宅ですか。夜分すみません」ということすら、もう誰も言わないわけです。我々が中学生の頃に、ドキドキしながら女の子の家に電話して、「親父が出たらどうしよう」なんてことは、もうありませんから。
染谷 総合大学などでは、試験前日に、受験生の母親から電話があって、子供を特別教室で受験させて欲しいと。「具合が悪ければ医務室に連れて行きますよ」と言うと、そうではなくて、虚弱体質で集団行動に合わないと。そんなことで特別教室は無理です。で、当日朝、ノーと言った手前、心配だから見に行くじゃないですか。だけど子どもはピンピンしている。
田渕 あと、試験が終わると、子どもと親が携帯で話している姿も、よく見かけるようになりました。今どこにいるとか、待ち合わせはどことかね。
染谷 試験が終わった途端、大学に親の携帯から苦情の電話かかってくることも増えましたね。試験問題がどうだとか、試験監督がどうだとかいう内容です。
山下 毎年、特にセンター試験の時には、部屋が寒いということを子どもが携帯で親に電話し、親が大学に「教室が寒いと息子が言っているので何とかして下さい」と言ってくる。これはもう、当たり前のようにあるパターンです。
染谷 自主性がなくて言えないようです。そういう子は、親とのパイプはありますが、社会性に欠けています。今はもう携帯やメールが当たり前になっているでしょ。何かあると、すぐに親に、ということになってしまいます。
田渕 最近は、就職活動まで、そんな兆候が見えています。例えば、会社訪問に行くとなれば、会社までの道を調べてあげるとか、途中まで一緒に行ってあげるとかですね。
染谷 親の過干渉ともいえる場面を3つに分類しました。まず入試から入学までですね。試験について行く親だけでなく、入学後にガイダンスに参加しようとする親や、子どもの時間割を作ってしまう親もいるほどです。次は学生生活です。電話で「前の日の夜に子どもがやったレポートを忘れたので、それをファックスで送るから渡してくれ」と。当然、「それはできませんよ」と学校では対応します。また、子どもが体調を崩して、親が「今日休みますから、先生に連絡してくれ」と言ってくるケースもあります。これも「それはできません」と答えます。すると、そういう親は共通して同じことを言います。「高い授業料を払っているのに、何もしてくれないのですか」と。そうした言葉に対しては、「それをやらないのも、授業料に入っています」と言うことにしています。
田渕 というよりは、人が頼んでるのに、何で出来ないの、という態度なんですね。大学だからどうという区別が無いんです。子どもに代わり、私がわざわざ連絡してるのに……、という感覚なんです。
染谷 その母親は、恐らく子どもが幼児の頃から、ずっと同じような感覚で、何の違和感も無くやっているんでしょうね。大学生になったんだから、それくらいは子どもにやらせましょう、というくらいに変わってくれればいいんですが。
染谷 ある大学の就職担当から聞いた話ですが、就職フェアを開催すると、以前は学生だけだったのが、いつの頃からか、母親も来るようになって、今度は父親も来るようになった、と。過保護に育ちすぎて、親主導できた子どもたちがどうなるか、というと、就職しない子が出てくるわけです。家が経済的に困っているわけでもなく、「就職浪人も1年ぐらいはいい」というようなことを親が言う。そうすると、勉強ができて、名門大学を卒業しても、フリーターや引きこもりになるような子どもが出てきます。また、中にはこんな親もいるそうです。「いよいよ明日出社ねえ」と、朝お弁当を2つ作るんです。なんで2つ作るのかというと、子供の弁当と自分の弁当を作って、一緒に行くそうなんです。
山下 就職活動にも親が出てきて、就職してからも親がつきまとう。そうなると、どんどん自分の意志表示ができない人間ができていってしまいます。当然そういう人というのは女性も口説けないわけじゃないですか。意志を伝えられないわけですから……。
染谷 4年間友達がいないという学生が結構います。元気そうで一見、普通の学生ですが、友達はいない。今の大学では、友達作りまで支援しなきゃいけないわけです。「友達がいない人は集まってください」と言ってイベントをするのです。お見合いじゃないけれど、こういったことは、かなり前から起きていますね。
田渕 大学からすると、保護者に納得してもらうことで大学を理解してもらう、という方向性を打ち出していかざるをえません。
山下 今は学生以上に親を大切に扱っていると言っても過言ではありません。進路の決定権は、多くの家庭で母親にありますので、母親を無視しては考えられません。そこで、大学も、親向けの本を作り、ホームページも分かりやすいようにしていますし、オープンキャンパスなどでも親向けのイベントを行い、親が来ても飽きさせないよう工夫しています。
染谷 親と子どもを分けてオープンキャンパスをやるようになったのは10年くらい前からでしょうか。親にも子どもとは違う説明をする必要があるなと思ったのはもう少し前からですが……。それぞれ役割が違うというか、親が知るべきことと子どもが知っておくべきことは違うということですね。
田渕 最近のオープンキャンパスは、父親の姿が増えてきたという実感があります。保護者全体の2割くらいにはなります。土日開催ですと増えますし、夏休みの平日開催でも、それなりに来ている感じです。
山下 うちでも100人中20人から30人といったところでしょうか。以前では考えられない比率です。
染谷 田渕さんもおっしゃったように、大学の広報戦略としては、スポンサーである親にきちんと理解してもらうのは、今は当たり前になってきています。
山下 親同士のネットワークは昔と比べて、非常に密な気がします。親が自分のやっていることをおかしいと思わないのは、結局、ほかの親もやっているからではないでしょうか。
田渕 オープンキャンパスで、在学生スタッフが案内をすることがありますが、親が一緒だと話しづらいようですね。親がいなければ同年代ということで、いろいろな話もできるんでしょうが、親が一緒だと質問するのはほとんど親だけになってしまい、受験生が違うレベルで聞きたいことがあっても答えることができません。学生スタッフも親の前で子ども同士の会話ばかりするわけにもいかないですし。受験生だけだと授業以外のいろんな話ができますし、かえって学校のことを理解してもらえることもあるようです。
山下 今はどの大学も学生スタッフをすごく有効的に使っていると思います。親が学生スタッフと自分の子どもとをダブらせるようです。学生が明るいとか、暗いとか、よくしゃべるとか、そういうことも学校選びの要素のようです。
染谷 大学を選択する時にどういう見方をすればいいのか、どこを見ればいいのかと聞かれますが、親、子どもそれぞれの視点で志望する大学の学生を見なさいと言います。オープンキャンパスで一度体験し、実際に受験する大学が決まったら、その大学の普段の姿、学生がいる図書館や食堂、学生ホールを見に行くのです。さらに、講義を行っている教室をのぞいてみるなど、普段の姿を見てみるといいのではないでしょうか。
山下 お子さんの進路を考えるにあたっては、家族全体で楽しみながら考えてほしい、と思います。実際に大学を見に行ったり、本やインターネットで調べたり、家族間でコミュニケーションを持ってほしいですね。そして、何かあれば、親御さんではなく、お子さん自身から、大学側にアプローチするように仕向けてほしい、と思います。
染谷 16~18歳の思春期の子育てで一番大事なのは、進路を決めることです。進路について、親子でしっかり話し合う必要があります。そして、あくまでも進路決定は子どもにさせなければいけません。親は経験があるわけですから、「私はこう思う」という意見はいうべきです。それも自分の経験だけを話すのではなく、現状を理解した上でのアドバイスをしてほしい。そして食生活を支えたりといった、後方支援に徹してほしいと思うのです。子どもが本当に困った時に、正確な情報に基づいたアドバイスが出来ることが重要です。やはり干渉はしながらも過保護ではいけないということですね。これは、子ども自身が目的意識を持ちうるかどうかに関わってきます。私は総合大学から単科大学まで見ていますが、そのありようは大きく違うように感じています。現在、専門性の高い単科大学におりますが、そこでは、今まで申し上げたようなことはほとんどありません。親と子の関わりを考える上で、この点をしっかりおさえておく必要があります。
染谷 最近の調査では、確かにそういう結果がでています。大学の広報戦略でも母親の存在は無視できません。しかし、家庭の環境を考えれば、母親だけが突出してしまうのはいかがなものか。父親の存在を抜きにすると母と子の偏った関わり方になってしまうのではないでしょうか。最近、保護者を対象とした講演などで「家のボスはだれですか」ということを話します。母親の中には「それは私」という方もいますが、それはちょっと違うんじゃないかと思っています。「私がボス」と思っていても、子どもの前や人前では、父親をたてなさいと言っています。そうすることによって、家庭の教育環境はよくなり、母と子の過度な相互依存というものが薄れ、子どもの自立にも結びつくのではないでしょうか。
山下 先ほど、父親はスペックで選ぶという話をしましたが、最近は母親もどうすればその学校に入れるかが前面ではなくて、卒業したらどこに行けるのか、行ってるのか、そこから攻めて来てるんです。その点では父親はまだ昔ながらの基準で判断しているんですね。どれだけ世間に名前が売れているかとか、偏差値はどれくらいかとか。母親は大学院進学率や、一部上場企業に何人くらい就職しているかとか、そういうドキドキするようなところから攻めて来ますね。そういう点から考えても、決定権は母親のほうが強くなってるのかなと思いますね。
田渕 受験に関しても、これだけ多様化すると、同じ言葉でも受け取り方が違います。昔のように今年の受験生の傾向はこうだということは、もう本質を突いていない気がしますし、ひとくくりでは論じられないのではと思います。
構成/大学通信・安田賢治 本誌・中根正義